
2021/08/07
上山市の四季「春夏秋冬」 それぞれの様子や特徴、おすすめの過ごし方などを市民が紹介します
寛永6年(1629)7月28日、紫衣事件で幕府の忌諱に触れた禅僧「沢庵宗彭」が、江戸から出羽国上山へ流謫になった。流謫のお預かりとはいえ、沢庵を少なからず崇敬していた当時の上山藩主「土岐頼行」は、松山に草庵を建立して篤く処遇した。
沢庵は、小さくも豪華な春雨にけむる閑静な草庵をこよなく愛し、「春雨庵」と名付ける。桎梏の身ではあるが、終生の願いである悠々の日を過ごせる事を喜んだ。
「さき草の三ば四ばの軒に軒 むべもあだしき夜半の月かな」「花にぬる胡蝶の夢をさまさじと ふるも音せぬ軒の春雨」沢庵宗彭。
3年の月日が流れ、寛永9年(1632)に赦免となり、江戸・東海寺へ帰る。この時、上山の「春雨庵」を東海寺境内まで運び、過ぎし日の上山における謫居生活をそぞろに懐かしんだ。
時は移り、昭和28年(1953)「上山沢庵禅師遺跡春雨庵保存会」結成。春雨庵跡と推定される現在の地に春雨庵の復元工事が始められ、昭和37年(1962)7月24日、春雨庵落慶式と沢庵禅師尊像開眼入仏式が挙行された。県指定文化財として、静かな松山の地に、当時の面影が残る。
沢庵宗彭と深い繋がりがあるとされている沢庵漬けに関する考えは次の通り。
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