121年の歴史「旧上山市立宮生小学校」 校舎内部の様子やこれまでの沿革
宮生小学校 校歌
- 蔵王の山にのぼる陽の 明き光のさすところ 希望の泉絶ゆるなき
宮川べりの丘の上に わが学び舎は輝けり - 岩倉山の松風や 鎮守の森の月かげに 遠つ祖先のいさおしを
秘めし歴史はいや古く わが学び舎に誇あり - 我等は若しいざ友よ 心も身をもすこやかに 世界の人と手をにぎり
髙き理想のいただきに 文化の華を咲かせなん
宮生小学校職員 作詞、大沢文蔵 補正、斎藤次郎 作曲
時系列順で見る宮生小学校のあゆみ
宮脇学校と中生居学校が合併し、明治25年10月1日「宮生尋常小学校」創立。
「宮生尋常高等小学校」「宮生村国民学校」「宮生村立宮生小学校」「上山市立宮生小学校」と校名を変えながら、明治・大正・昭和・平成の時代、輝かしい歴史と伝統を刻んできました。この121年間で4800人以上の逸材を輩出し、地域の学校として、一丸となって歩んできました。
新たな歩み「宮生尋常小学校」
明治25年10月1日に創立した「宮生尋常小学校」。校長は清水好文、児童は217人でした。
尋常科のみ、4学年3学級編成とし、読み・書き・そろばんが主な学習内容でした。明治26年には新校舎での学習が始まり、補習科含め5学級編成となりました。
あの頃の思い出「宮生尋常高等小学校」
上ノ山駅が開業した頃、宮生尋常小学校は「宮生尋常高等小学校」と校名を変更し、補習科の廃止に伴い高等科が設置されました。
明治35年には、児童数の増加により中生居に分教場を開設し、泥部・上生居・中生居の1、2年生が、夏はわらぞうり、冬はわらじを履き、教科書を包んだ風呂敷を背負って通学しました。
一時は、日露戦争による地方経費節減のために中生居分教場を冬季のみ開設としていましたが、明治40年に中生居分教場を常設とし中生居分校として明治36年まで使用されます。中生居に分教場が開設された頃、本校では高等科に農業科を加設し校舎の増築も行われました。
時代は明治から大正へと変わり、6年には中生居分校の増築、13年には本校新校舎が落成しました。また、高等科生の修学旅行や児童文庫の新設がされた年でもありました。
児童数は500人に近づき、時代は昭和へ移ります。【昭和6年 創立四十周年記念】児童の作品と郷土資料の展覧会が開催されました。【昭和8年】校旗・校章・校歌制定。校章製作:山形師範学校教諭 小塚義一郎、校歌作詞:本校職員 大沢文蔵。
校旗・校章・校歌が制定された後、記念として秋晴れのよい天気の中、部落単位でグループを作り芋煮会を開いた。
影響を受ける学校教育「宮生村国民学校」
満州事変に続く次々と勃発する事変に、教育は戦争の影響を受けるようになりました。
太平洋戦争の年には戦時教育体制をとり、小学校令の改正が行われました。この法改正により、「宮生村国民学校」と改称。初等科と高等科が設置されました。強歩訓練や裸足訓練などの戦闘教育が実施され、生産教育や銃後支援教育も充実させました。
昭和21年は食糧事情により午前のみの授業とし、土曜日を臨時休業に、この体制は同年10月まで続きました。
戦後の復興と共に「宮生村立宮生小学校」
昭和21年11月3日 日本国憲法公布。国民主権・基本的人権の尊重・平和主義、これら三原則の教育に向けて学校制度は大きく変わりました。昭和22年に「宮生村立宮生小学校」と改称。国民全員が平等の教育を受けられるようになり、新学校制度の下、新たな歩みを始めました。
昭和23年からは、学校週5日制と夏時間を実施し、12月24日より週2回の給食を開始しました。
昭和25年 泥部冬季分校の設置。教育機会均等の観点から、泥部地区に冬季分校を設け、12月から3月まで1年生から4年生が「複々式1学級」として学習していました。
新校舎での新たな出会い「上山市立宮生小学校」
町村合併により上山市が誕生し、昭和29年「上山市立宮生小学校」となりました。
昭和31年5月21日からは、4年生以上が新校舎(現在裏校舎)へ移転し、図書館や理科室などの特別教室がある、当時最新設計の校舎での生活を始めた。一方で、交通事情がよくなかった中生居分校は、市教育委員会の決定により昭和36年に閉校した。
創立75周年を迎え、水泳の授業が開始されたり、井戸水だったものが上水へと変わるなど、著しい進化を遂げました。表校舎が改築され、すもう大会や豊年太鼓・豊年踊りなどの伝統が誕生してく中、児童数が減少していた泥部冬季分校は昭和63年に閉校となった。
学校とのお別れ「旧上山市立宮生小学校」
年々児童数は減少し、平成24年11月17日「上山市立宮生小学校閉校記念式典」。平成25年 上山市立宮川小学校と合併し、121年の歴史に幕を下ろした。
現在、校舎やグラウンドは当時のまま残っており、平成27年には宮生小学校を利用した宮川小学校の自然学習が実施され、同年4月からは東北芸術工科大学による「工房 森の月かげ」がオープンしました。校舎をアトリエに活用し、毎年秋にお披露目会を開催しています。
www.kaminoyamasaigube.com
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